ロッキング・オン・ジャパンを立ち読みする

今やロッキングオン本誌ですら、立ち読みすらしない私だが、縁あってロッキング・オン・ジャパンを立ち読みしてきた。縁というのは、かつてRO本誌で書いていた広瀬陽一さんに、このブログのコメントにて案内いただいたからで、知らない人は知らないだろうが広瀬さんといえば私の中では有名人なのだ。本当に驚いた。


本屋ではジャパンの横に"ブリッジ"というROジャパンと見かけも内容も区別がつかない同じ出版社の内容の本があって、ユズが表紙!で驚いて、中身を見るとパフュームとかのインタビューが載ってたりした。こんなタダの歌い手にインタビューして何か面白いことでも聞けるのだろうかなどと疑問に思ってはいけない。音楽をショウビジネスと考えればパフォーマーもひとつの創造者じゃないか。ナカジマミカとかキシダンとか何でもありなのだ。
とにかく音楽が売れない時代である。音楽雑誌の現状も想像してあげなくてはならない。ジャーニーみたいなバンドにはあまりインタビューしようとしなかった頃のロッキンオンを懐かしく思っても無駄。今の環境はあのころと違いすぎるということをまず先に思わねばならない。


難しい時代だと思う。
インターネットには情報が溢れてるし、しかも月一回ではない。また、そのミュージシャンがどう思われてるかを知って思いを共有したければ、2ちゃんに行けばいい。あそこにこそダイレクトな批評性があるのかもしれない。
それにミュージシャンが歌以外で言いたいことがあれば気軽にタダでブログに書けるのである。つまりは本人が言いたいこと以外に何か言わせなければ雑誌なんて存在する意味がないわけで、そのためには相当インタヴュアーの批評性が問われる。記名性を獲得するくらいのインタヴュアーでないとならない。(しかし日本ではそういうものはあまり歓迎されてない気もする)
そういう意味では、クオリティの高い編集者の多かったロッキングオンは信頼できるはずだが、流石に音自体に疎遠だと正直何も読む気がしない。ROジャパンも、掲載されているアーティストに1ミリほどの興味も持てない状態なのは、ブリッジと一緒。あれほど昔聴いたエレカシの宮本の話も全く読む気がしないのには、少し驚いた。インタヴューの区切りで掲げられる要約的見出しが全然私に届かない言葉になってしまっていた。これは何なのだろう。


余りにも前置きが長くなったが、そういうわけで、広瀬さんの書いたページだけ読んできた。豊田道倫さんという方についてである。
けっこう重い内容。こちらは届くものがあった。なんとか無事に生きて欲しいものである。少しづつ思い出してきたが、確かにこのようにいつも生きるか死ぬかギリギリの場所で音楽と向き合ってきたのが、広瀬さんだった。音が趣味ではなく必要かどうか。
私もそういう場所に立っているつもりだったが、全くいつのまに離脱してしまったのであろうか。自分が立っているつもりだったのが虚偽でしかなかった事を思い知らされる。本当に受け止めていれば離脱することなどなかった筈なのだから。エレカシのページだって、もっと眼が止まっていたはず。


今私は揺さぶられたいと思うとき、コルトレーンを聴く。
コルトレーンを前にして抱く思い−あえて語らず、沈黙してサックスに向かうことでよりこっちに伝わってくるものがある−というのも虚偽なのかもしれないが、とりあえず聴いてるあいだはどうでもいい。
この何年か、本当に揺さぶられたいときはこれだけ。今、必要なのはこれだけになってしまった。