人はなぜユニクロを「ウニクロ」と言いたくなるのか−『ユニクロを巡る論考−その1』
なんかユニクロの事ばかり書いているので、ついにユニクロをカテゴリ化。記念にどうみてもどうでも良い事を書こうと思う。
ユニクロといえば余程気に入った品でもない限り値下げしてからでないと買わないので、土曜の朝か金曜の夜に値下げをよくチェックするのだが、オンラインサイトをお気に入りには入れていない。なぜかいちいち検索サイトを使ってるのだが、補正が優秀なのでつい「ユニクロ」と正確に打たなくてもそのまま検索ボタンを押してしまう。たいてい「ユニクロではありませんか?」と聞いてくれるのだ。
yahooで試すと「ウニクロ」は勿論、「ユニカロ」「ユニケロ」「ウニケロ」「ヤニクロ」「ユニロ」「ニクロ」「ユナコロ」「ユナロ」「ユロロロ」などでも「ユニクロではありませんか?」と聞いてくれる。ユナコロとユニクロでは随分違う気もするが。
この中で「ウニクロ」「ユニケロ」「ウニケロ」あたりは、それぞれユニクロの隠語として立派に流通しているようである。
ちなみに
「ウニクロ」で検索・・・・・41,100件
「ユニケロ」で検索・・・・・196件
「ウニケロ」で検索・・・・・51件
「ユニキロ」で検索・・・・・81件
「ユニコロ」で検索・・・・・454件
で圧倒的に「ウニクロ」が多いのだが、"uniqlo"の頭が"u"なので「ウ」と読み替えてるものが殆ど。ここには恐らく安物を買っている気恥ずかしさがあるのだろう。
一方「ユニコロ」などは8割がた単なる打ち間違いが放置されたものである。ひとりだけ日記のなかでずーっと「ユニキロ」と書いている人がいたのだが、この人は謎。セシールを「スシール」、ホーマックも「ヒーマック」と書いている。はてなユーザーなのでidコールしても良いのだが、バカにしていると思われても面倒なのでしないでおく。
しかしこの人のユニクロでの買い物を綴った日記は面白い。2000円程度のズボンであれこれ迷う様子が、もうユニクロにハマっているとしか思えない感じなのだ。なぜにこうもユニクロは中年男性を狂わすのだろうか。
丸元淑生氏、享年74歳、2008/3/6
単に暇なのでWikipediaの訃報一覧を見ていたのだが、丸元氏が亡くなっていた。
とくに思い入れもないのになんで言及しているかというと、この人とビタクラフトは切っても切れないからである。
恐らくこの人のおかげで、ビラクラフトは日本での知名度は上がった事だろう。
ビタクラフトといえば、高島屋とかいくと30,000円くらいして眩暈がするのだが、上に写真を挙げた廉価版のビタであれば、ヨーカドーで売ってるのを見た事があるし、多慶屋とかディスカウントショップにもある筈。10000円以下で買える。2個買う余裕があるのなら大き目の両手鍋とフライパンを。でも一番使いやすいのは中型の片手鍋。
鍋はなんだかんだで、多少重たくても我慢して片手鍋使った方がいい。圧倒的に使い易い。
同じ5層構造の鍋であれば象印から全く同じようなものが出ているので、格好良さを気にしない人はそちらを選んでもいいかも。廉価版のビタより更に安いし。ただし象印は取っ手が合成樹脂なのでオーブンにはそのまま入れられない。
タッパーは何でも一緒って事は絶対にない!
この記事の続き。
なんとこの記事を書いたのが去年の10/30だから週2〜3回、まる半年使ったことになるが、ゴムも全然くたびれないし、嫌な臭いも殆ど付かない。まったく優秀なタッパーである。
これだけ使ってるのだから、内面は恐らく眼に見えない細かい傷がついていて、それが細菌の元=ニオイの元になりそうだが、全くそんな気配がない。
タッパーなんて同じような値段だし、どれ買っても一緒とか思ってないかな?全くそんな事はないぞ。
普通大抵のモノ(消費財)は値段が高くなればなるほど質も上がるもので、つまり5万円のスーツは1万円のスーツより丈夫だし皺もつきにくかったりする。タッパーに関しては同じ価格帯で選ぶもので雲泥の差がある。
メーカーでいえば、"Unixware(アスベル)""Lustroware(岩崎工業)"が双璧だ。それぞれ、標準品は『フードキーパー』『ネオキーパー』として売られている。
アスベル 保存容器 「Uレンジ」 ナチュラル NO-5・MC
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ユニクロについて訂正
以前、肌着のドライメッシュTシャツのSサイズが無い(もしくはネットにしかない)、とか言いましたが、昨日近くのユニクロに行ったら、そんな旗艦店ではないのに普通にありました。店頭でSサイズが普通に手に入ります。
昨年は9月くらいにはXLサイズしか無かったので、ちょっと勝手に危機感を抱きすぎていました。謹んで訂正。
でついでといっては何だが、昨日気付いた事整理。
◇ポロシャツとプリントTシャツにやたら力入ってるね
それはそれで良いけど、襟のしっかりしたシャツの種類が今一少ない。もう少しビジネスで着用できるものを増やしてもらえぬか。
ちなみに私は一着1500円も出してプリントTシャツを買う気は全くない。ポケ付きTシャツは少しだけ気になる。
そう言えば去年リブ系の「JustFit」と謳ったVネックのTシャツはワゴンセールで500円だったので何枚か買ったが、結構洗濯で横幅が伸びた気がする。なんかジャストフィットじゃなくなってきた。普通水流が原因なんだろうか。服は面倒臭くなければ、ぬるま湯でサッと手洗い(そういうモードじゃなくて実際に手で洗う)が一番良いと実感している最近のワタクシは休日は洗濯ばかり。
◇ブリーフの種類が去年に比べ格段に少ない印象
これはローライズのものに限った話。へそのあたりまでくるブリーフならやたら色とりどりで賑やかなのだが、みんなお腹までゴムしてイヤじゃないのかなあ。見てくれも格好悪いし。
ヘソまで来ていいのはトランクスだけにしてくれよ、って思う。
補修パウダーがスゴイ!
手芸など全然しない人間であるが、ボタンの補修くらい自分でやるし、AOKIでその日に裾上げが出来ないと言われた日には、テープでやってしまう。アイロンは便利である。
先日、私の中で評価の高いくろがねやというホームセンターをぶらついていたら良い商品に出会えたので報告。これはスゴイ。(しかしホームセンターをぶらつくのが楽しい私は何なんだ)
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布同士の接着に使うのだが、このパウダーを接着面に振りかけ、アイロンで押してもう終わりである。
布同士の接着なら染み込まないタイプの手芸用の接着液はあって、その存在は知っていたのだが、このパウダーのすごい所は、液体と違って何度もやり直せるのだ。あくまでアイロンをあてる前ならね。
どういうことかというと、接着面に対してパウダーの量が多いと思えば、一度落として振りなおしが出来る。
液体接着剤ではこうは行かない。一度塗ってしまえば諦めてその範囲で接着するしかない。で例えば、量が多いとはみ出してテカる。
裾上げテープの接着するザラザラ面が白いパウダーになったと考えれば良いだろう。つまりヘタすると応急措置として針糸はもちろんテープも無しで裾上げが可能なのだ。実際にやったら出来た。
ちなみに熱でその白は透明に変わるのでご心配なく。本来の小さい破れ補修も、その生地に合う布があればほんとに目立たなく直せる。
また同じクローバー株式会社の製品でこれもお勧め。
[rakuten:takatomi:425775:detail]
これは液なのだが、例えばとれかかったボタンの糸部分に染み込ませるだけ。これでいつの間にかボタンが落ちてなくなる事がない。しかも乾きが早くて、気になる堅さもない。応急措置として余りにも優秀であった。
ロッキング・オン・ジャパンを立ち読みする
今やロッキングオン本誌ですら、立ち読みすらしない私だが、縁あってロッキング・オン・ジャパンを立ち読みしてきた。縁というのは、かつてRO本誌で書いていた広瀬陽一さんに、このブログのコメントにて案内いただいたからで、知らない人は知らないだろうが広瀬さんといえば私の中では有名人なのだ。本当に驚いた。
本屋ではジャパンの横に"ブリッジ"というROジャパンと見かけも内容も区別がつかない同じ出版社の内容の本があって、ユズが表紙!で驚いて、中身を見るとパフュームとかのインタビューが載ってたりした。こんなタダの歌い手にインタビューして何か面白いことでも聞けるのだろうかなどと疑問に思ってはいけない。音楽をショウビジネスと考えればパフォーマーもひとつの創造者じゃないか。ナカジマミカとかキシダンとか何でもありなのだ。
とにかく音楽が売れない時代である。音楽雑誌の現状も想像してあげなくてはならない。ジャーニーみたいなバンドにはあまりインタビューしようとしなかった頃のロッキンオンを懐かしく思っても無駄。今の環境はあのころと違いすぎるということをまず先に思わねばならない。
難しい時代だと思う。
インターネットには情報が溢れてるし、しかも月一回ではない。また、そのミュージシャンがどう思われてるかを知って思いを共有したければ、2ちゃんに行けばいい。あそこにこそダイレクトな批評性があるのかもしれない。
それにミュージシャンが歌以外で言いたいことがあれば気軽にタダでブログに書けるのである。つまりは本人が言いたいこと以外に何か言わせなければ雑誌なんて存在する意味がないわけで、そのためには相当インタヴュアーの批評性が問われる。記名性を獲得するくらいのインタヴュアーでないとならない。(しかし日本ではそういうものはあまり歓迎されてない気もする)
そういう意味では、クオリティの高い編集者の多かったロッキングオンは信頼できるはずだが、流石に音自体に疎遠だと正直何も読む気がしない。ROジャパンも、掲載されているアーティストに1ミリほどの興味も持てない状態なのは、ブリッジと一緒。あれほど昔聴いたエレカシの宮本の話も全く読む気がしないのには、少し驚いた。インタヴューの区切りで掲げられる要約的見出しが全然私に届かない言葉になってしまっていた。これは何なのだろう。
余りにも前置きが長くなったが、そういうわけで、広瀬さんの書いたページだけ読んできた。豊田道倫さんという方についてである。
けっこう重い内容。こちらは届くものがあった。なんとか無事に生きて欲しいものである。少しづつ思い出してきたが、確かにこのようにいつも生きるか死ぬかギリギリの場所で音楽と向き合ってきたのが、広瀬さんだった。音が趣味ではなく必要かどうか。
私もそういう場所に立っているつもりだったが、全くいつのまに離脱してしまったのであろうか。自分が立っているつもりだったのが虚偽でしかなかった事を思い知らされる。本当に受け止めていれば離脱することなどなかった筈なのだから。エレカシのページだって、もっと眼が止まっていたはず。
今私は揺さぶられたいと思うとき、コルトレーンを聴く。
コルトレーンを前にして抱く思い−あえて語らず、沈黙してサックスに向かうことでよりこっちに伝わってくるものがある−というのも虚偽なのかもしれないが、とりあえず聴いてるあいだはどうでもいい。
この何年か、本当に揺さぶられたいときはこれだけ。今、必要なのはこれだけになってしまった。