相変わらずの週刊文春

週刊文春コムスン叩きの記事。
コムスンの会長が芸能人を呼んでいたとか、ジェット機がどうだとか、相変わらずだなー。
うだつの上がらないサラリーマン連中の妬みそのまんま。ホント、こんな週刊誌買う人は、よく恥ずかしくないよなあ
ポルノ雑誌買うよりもヘタしたら恥ずかしいけどね。
法務大臣がどっかのクラブのママに熱を上げている、とかの記事にも、こんな人間に大臣の資格があるか、とか書いてる。
この週刊誌の読者と記者に、じゃあお前がやれ、と言いたくなる。
朝からこの中吊で頭にきたせいで、少し目が覚めたので、それはありがとう。
しかし、この程度のプライベートの事なんか、無論法務大臣の資格とはまったく関係のないハナシ。
こんなことで「資格」うんぬん言えるような法意識の低い人間には、法務大臣など逆立ちしたって出来ないだろうから、じゃあお前がやれ、ってのはよく考えれば間違いではある。

中華鍋の使い方

先日触れた中華鍋であるが、その後、だんだん油慣れしてきたことは確か。
ここまで使ってきたなかで、ちょっとポイントを整理。

使い始めは脂っこい料理になるのを我慢すること

テフロンの倍以上は使ったほうがスムースに炒められる。また、もう一つ理由があるがそれは次の命題にも関連する。

炒める前に入れる油を焦がさないこと

炒める前に煙が立つくらいよく熱して、と中華鍋使用の原則としてよく言われるが、鍋に油を塗って保管し、それがきちんと拭えていないとその油が黒く焦げ付き、そこが焦げ付きの原因となる。
これは、よく熱した中華鍋に少量しか油を引かない場合も同じ事。
上記を念頭に、中華鍋の基本的な使い方を書くなら、まず鍋に薄く残っている保管のための油をほんのり暖めた上で、きれいにペーパータオルで拭う(水は使わない)。充分に拭ったら、煙が出るくらい強火で熱し、その火をつけたままの状態でやや多めに油を引き、しばらく(といってもせいぜい10秒)そのままで、それから炒めるとなる。
この場合、油を熱しすぎたりしたなと思ったら、味も落ちるので潔く捨てるかオイルポットへ落とし、また引き直せば一度表面は馴染んでいるのでその後はくっつきにくいはずだ。
またすぐに焦げるような素材をじっくり焼く場合とか、水を多く含む材料なんかでコリャはねるなという場合など、濡れ雑巾などの上に一瞬鍋を置いてさまして再加熱して炒めてもくっつきにくい。

慣れないうちから大量に炒めようとしない。

中華鍋というと家庭用としては一般的に28センチ〜32センチくらいのが売られている。それはそれでいいのだ。コンロからして家庭用のそれでは、36センチの中華鍋には小さい気もするし。
問題は、その掘りの深い形状から一度に沢山炒められるのではないか、という勘違いがないか、という事。いや実際、一度に炒めることは出来るのだ。但し、それでは中華鍋を使う意味は殆どない。
一度に沢山炒めようとすると、火力が強い場合、かき混ぜが間に合わずどうしても焦げるし、そこを無理にかき回そうとするとレンジ回りがゴミだらけ。じゃあ火力を弱めればいいかというと、今度は水分がうまく逃げずにテフロンで炒めてどこが違うんじゃい、というものしか出来ない。
ハッキリ言おう。炒め物をいちどに大量に行いたいのならば、ぜったいテフロンがいい。よくテフロンは高熱に弱いとか言うが、あれは非メーカーものであったりしたものが、カラ煎り状態になったときにそうなる、といった類のハナシではないか、と思う。きちんとデュポン社のもので(しかもテフロンプラチナ以上)、しかも大量に炒めるのであれば、内容物の温度など極度に上がることはないのだから、テフロンが傷むことなどあまり考えられない。
洗うのも異常に楽だ。趣味で料理というのではなく、料理は必要に迫られてのもので、パパっと終わらせたい人には、テフロンがお勧めだ。鉄を使いこなしたいなどと格好付ける必要のない人は、テフロンで十分(ほかの工夫などで)おいしい炒め物ができると思う。

こびりつかせて奮闘するくらいなら、火を鍋からずらすなどして火を加減してしまう。

その場を離れるのでもないかぎり、火加減の調整は、鍋の位置によって行うほうがやり易い。

ヘラはステンレスのものでこびりついたらガシガシこすってしまう。

そういう事をするとせっかくの黒サビ部分まではがれてしまうとか言われたりするが、この程度でいわゆる黒サビがはがれてしまうなら、そんな使い難いもの誰が使うか、と言いたい。
じっさいヘラでガシガシやっても線的にごく一部傷つくだけで、面的にベタっていうふうに何かがはげるわけじゃない。
この程度を気にしていたら、週一回は磨きなおしする必要があるんじゃないだろうか。そんな事はしたくない。

『Candy Apple Red』鈴木祥子

Candy Apple Red

Candy Apple Red

廃盤だし、画像なしでリンクしてどうするねん、って感じではある。あまり意味がないけどとりあえず。
で、このアルバムを日記に書くのにいろいろ調べたら、鈴木祥子さん、まだ現役らしい。すごい。
私がリアルタイムで追っかけている頃すでに、それほど若くなかったような気もするのだが。
それと、アマゾンでは参加ミュージシャン名に曽我部恵一となっているのだが、なんと鈴木祥子の公式サイトにはこのアルバムの詳細なデータがないようだ。
いろいろ探ったら、JBOOKっていう文教堂のサイトには全曲の作詞作曲編曲者が出ていて、なんでJBOOKがそんなに詳しいのか分からないが、とりあえず曽我部氏は一曲だけ作詞しているようだ。
その曲も悪くない、というかこのアルバムの中ではむしろ良い曲だが、なんといっても最高傑作は"恋のショットガン"だろう。
アルバムの題名とデザインを見たとき、これは傑作かもしれないと新盤で手に入れた覚えがある本作を最初に聴いたときから、もうこの曲のとりこというか。歌詞とかすっごくクダラナイけどね。今もライブでやるらしいし、最近発売のベストにも入っている。ちょびっと低めの特徴のある声がいいんだよな、こういう曲に合う。
その後、鈴木祥子は前に翻って2、3聴いてみたが、本作の印象が強烈だったせいか、どれもイマイチで売ってしまったようで手元にない。後に出た"私小説"にいたっては、思いっきり地味になっているように聴こえ、ああもうこの人はいいや、となり現在に至るのである。