『民主と愛国』についてメモ5

最後の章は、小田実鶴見俊輔
彼らを最後にもってくることが、まさしくこの本の意義のあるところだと思う。
それは、今いちばん後ろ指差されなもの、戦後的なモノの再評価こそが、なされるべきじゃないか、と思うからだ。
ここ数年、戦後的なモノは、批判検討というものではなく、全否定といわれかねないものだっただけに。


戦後的なものによる恩恵のほうが、悪影響よりもはるかに多く、偉大であるかということ。
ちょっと冷静であれば、そんな事は当たり前なのかもしれないが、停滞した時代には、そんな保守的な見方は好まれない。
変革や改革を叫ぶものに、みな惹かれがちだ。
その変革や改革の中身よりも前に、アドバンテージがもう存在してしまっている。


しかし、戦後的なモノではなく、小田や鶴見じたいの再評価ということになると、躊躇せざるを得ないのは非常によく分かる。
だって、どちらかというとソ連の味方だった、という面は否定できないからねえ…。
例えソ連が支援していても、民族解放運動であれば、オッケーみたいな。
いや社会主義が魅力的な時代だったから仕方ないんじゃないの、という言い訳は、ベトナム戦争最盛期はともかくも、1970年代後期となるとあまり成り立たない。
当時においても、文化大革命というのはどういう事態だったのか、とか、ポルポト政権が多くの人を粛清していたとかは伝わっている所には伝わっていて、ただ左翼的な文化人が見ようとしなかったのだ。見たくないものは見ないんです、人間は。
また共産主義系の革命論が完全になくなったわけでもなく、言論はすべて(文学すらも)革命運動に寄与するかぎりにおいて認められるものであり、左翼文化人にとってはそれは自らの原理でもあり、他者への適応原理にもなる。
つまりは、社会主義国、グループの汚点を口にすれば、"そのような言動は国家主義者、ファシストたちの扇動にのせられているのだから、真実かどうかなんて検証も必要ない"という事にもなってしまうのである。
実際には、そんな事が多く言われたわけではないにしろ、それが抑制として働いたという事はゼロではないだろう。
簡単にいえば、社会主義国の悪口を言う事は孤立する覚悟が、変人とみんなから思われる覚悟が必要だった、と。
(こりゃちょっと言いすぎかな? でも当時の右派の人って変人っぽいのが多かった気はするんだが)


北朝鮮の拉致を一貫して認めてこなかった某政党がまったく人気がなくなってしまったのにはワケがあるように、小田、鶴見が現在イマイチ(どころか忘却)なのもワケがあるのだ。


この本では、鶴見の運動論を評価し、また、小田や鶴見が吉本などより、言ってることが一貫しているのは示している。
ただ、それ以上のもの、彼らが東西陣営の東にある意味荷担していた・・・、イノセントなんて言い訳もなかろう筈のところで・・・という汚点を覆すほどまでのものを感じるのは、正直私には難しかった。


このテーマは続くのかもしれない。