マンガについて−白土三平さんのことなど

悲しいかな、マンガに関しては完全に現役ではなくなってしまった。
もうほぼ完全に、である。
たとえば、21世紀の最高傑作マンガ!と宣伝されるような作品があったとして、一向に読もうという気が起きない。


完全に、ではないころ、つまり半引退という頃もあって、行きつけの中華料理屋や床屋、町医者などでマンガ本があったりするととりあえず目を通し、面白いものがあると単行本を手に入れたりしていた。
そのようにして榎本俊二和田ラヂヲを知ったわけである(そして中華料理屋でチョイ読みするわけだから、とうぜんギャグマンガに偏る)。


そのような状態から、なぜ完全に現役でなくなってしまったかというと、粗製濫造の気味が強いからである。
とくに青年マンガではその気味が強い気がする。
昔のように出版社でその作家を抱え込むようなやり方をしていたころは、もっとじっくりとその作家から出てくるものを待ち、またそれを編集者が促すということも可能だったのではと推測するが、ここ数年というもの、あそこがダメならウチでやりませんか、と、とにかく書ける人がいれば書かせているような状態ではないのか?
それでも、かといって明らかに絵柄が雑にならないのは流石にプロの漫画家の皆様なのだが、ストーリーに関してはどうにもマンガ独自のものが出てこない。無理もないとは思うが。
そして、ときにきちんとした原作があったほうが面白く、実際に原作ものも増えたような気がする。


しかし、その原作モノにしても結局はすでにある小説だったりするし、原作者が漫画の原作のみでプロとしてやっている人という作品は限られていて、それならば最初から小説を読んだほうが遥かにいい。
どうしても文字だけでは想像力が働かなくて、絵が与えられていたほうが良いという人は別ではあるが。
コストパフォーマンスから考えてもそれは言えることで、銀河英雄伝説なんか原作と漫画をそれぞれ全部揃えた場合の価格はいったいどういうことになるか。
ものすごい差ではないか。


また、小さいことではあるが、昨今の漫画が昔に比べて見開きでの表現を多用することになったのも、漫画のコストパフォーマンスの悪化に寄与している。
昔は大画面でド〜ンと見せるのはよっぽどの事態でなければなされなかったはずで、であるならば、昨今の見開き大画面の多用は表現上の必然という可能性は低い。なぜなら、ストーリーの部分は昔の漫画からほとんど進歩していないのだから。
大きな漫画表現のトレンドみたいなものも確かにあるのだろうが、明らかにページ数稼ぎなのではないかとどうしても思えるような事も多く、そんな事も漫画から私を遠ざけることになった。


そんななかで、ずっと動向をフォローして来たのは白土三平だ。残念ながらもう引退状態だけれど。
20代以下の人で、どれほどの人がこの名前を知っているだろうか。あるいは知っていたとして、作品を読んだことがあるだろうか。サスケがテレビなどのお陰で有名だったころは、"サスケの人"で理解してもらえたが、今はもう無理だろうな。


いつか白土三平の魅力について書いてみたい。
今まではとにかく面白いというだけで読んできたが、書き出してみると分かる事もあったりするのだ。