矢作俊彦への躓き

少年ジャンプが一番売れていた頃を知っているマンガ世代なので、矢作俊彦の名前を知ったのは、大友克洋のマンガの原作としてである。
たしか、最初に読んだのは『死ぬには手頃な日』だったと思う。
面白かった。
当時は、なぜなのかさっぱり思い出せないが、ハードボイルドばかり読んでいて、チャンドラーやハメットと並行しながら矢作俊彦を読み、こういうものが一番面白い本なのだと思っていた。今ならよほど時間がないと読まないだろうし、あえて読むならチャンドラーになると思う。(チャンドラーはなんか倫理というものを感じさせて好きなのです)
マイク・ハマーへ伝言』『神様のピンチヒッター』など、このへんの光文社から出ていたものは、どれも面白かったように記憶している。
出版順序とは違うかもしれないが、その後、海外作家中心のハヤカワから『リンゴォ・キッドの休日』というのが出ているのを知りこれも面白く、新書版での司城さんとの共作も面白かった。この辺までは良かった。
その後文庫で『ブロードウェイの自転車』を手に入れ、悪くないんだけれど、求めるものから少しずれてきた気がして、『マンハッタン・オプ』も、なんか短いなあ、物足りないかも、となって、少し矢作俊彦から遠ざかり始めた。


※ところで今書きながら思い出したが、たしかこの頃FM横浜が開局するということでスポンサーなしの準備放送みたいなものを暫くやっていて、矢作俊彦が一時間番組を持っていたことがあった。
ゲストの話も含め、けっこう面白く毎週聴いていたはずだが、最終回間際になって、もう終わりと言う事でサービスは終わりと言わんばかり、やたら音楽を流すだけで番組を終えるようになってしまったのを覚えている。矢作俊彦らしい、と思ったものだ。


私が離れ始めるのと逆に、世間的な認知度は上がっていったのかような雰囲気で、次々と単行本は出たが、『舵をとり〜』などあまりに短く、しかもクルマに関する話で、ちょっと読んだだけでもう詰まらない。
『さまよう薔薇のように』も悪くはなかったが、この手のもの(ジャンル)自体への興味が薄れてきていたのかもしれない。もう強烈な記憶がないのだ。


『スズキさん〜』などは、純文学方面でけっこう評判がよく、手にしてみた。作風は変わったが悪くは無い、でもそこまで面白いか?という感想を持った。ジャーナリズムが皮肉られているところしか記憶に残っていない。
いちばん酷かったのは、『仕事が俺を呼んでいる』だった。
どういうふうに詰まらなかったか、の記憶がないが、憤慨してしまうくらい詰まらなく感じたのは覚えていて、矢作俊彦そのものを受け付けなくなってしまった。
同じく手に入れていた『東京カウボーイ』もまったく読めなくなってしまったのだ。


その後、矢作俊彦ががニッポンの奇妙な光景をネタにエッセイを書いているのは、けっこう評判になったから知ってはいたが、男性週刊誌など買うどころか立ち読みすらしたくないので、あまりフォローしていない。
単行本になって、パラパラ覗いてみたが、買うほどまでも無い、というふうに感じた。


近年になって古本で『あ・じゃぱん』がかなり安くなっていたので読んでみたが、まあ面白いと言ったところで、スゴイというほどでもない。
しかし、90年代の矢作作品ってのは、評価されて話題になるものが結構多い気がする。
文芸時評などで矢作作品に触れる人は、たいてい絶賛に近い。
多少それに違和があるのだが、もしかしたら、私の場合、矢作俊彦への期待が大きすぎるのかもしれない。
よく考えてみたら、芥川賞の選考委員をしているような人、たとえば石原慎太郎村上龍などよりは、まず矢作俊彦は面白いと言えるのではないか。いや石原も村上も、たいして読んじゃいないんだけれども。
今の文学界での矢作俊彦の絶賛に近い位置付けも、そんなに不思議ではないようにも思えてきた。