『民主と愛国』についてメモ2

引き続き『民主と愛国』をパラパラめくる。


安保の頃に、若い日本の会というものがあって、大江健三郎江藤淳が入っていたことは、なんとなくそんなものがあって昔は盟友といっても良かったような事は知っていたんだが、他のメンバーの中に谷川俊太郎の名前を見つけて驚く。
こんな事やっていたんだ・・・。
ちなみに他のメンバーで目ぼしい所は、武満徹寺山修司浅利慶太、そして小田実、と石原慎太郎
すげえな。まさしく左右両極。
反米というだけで、これだけのメンバーが集まるんだから、アメリカというのは大きな存在だったんだなあ。
そしてこの混乱の終息とともに、アメリカやアメリカ的なものが受容されていく、という事なのだ。
※ただし、沖縄は除く


他に、サイボーグ009巨人の星つげ義春などの名前もこの本には出てくる。
連帯しなければ生きられない時代から、個人個人がそれぞれに生き方を見つけていくような時代の現れとして、漫画作品の内容にまで言及するとは思わなんだ。
社会学者としてちょっとイヤらしい気もする。ここまで目を配って戦後を論じていますよ、みたいな。フィールド広いですよ、みたいな。
ま、それは良いとして、漫画にしてもそんなに単純に世の気分を反映してしまうものなのかどうかは、少し疑問に思った。
小熊氏の論に都合の良い作品だけ、ピックアップしてはいないか?
時間があればあのころの漫画作品のほかの作品など、検証してみたいが、もちろん、そんな暇はない。
白土三平は、一貫して連帯も孤立も描いてきたのだが・・・。