たぶん2度と読むことのない作家たち
まず最初に思い浮かぶのは、吉本ばなな、大沢在昌、岡嶋二人。
共通点は、むかしある宿泊施設で長期滞在したときに、自由に読める本棚にこの人たちの本があったこと。
吉本ばななは、その心理描写の薄っぺらさに途中でやめ、
大沢在昌は、その登場人物の薄っぺらさに途中でやめ、
岡嶋二人は、最後まで読んだが、そのトリックのばかばかしさに呆れ、推理小説アレルギーの形成に一役買っている。
ちなみに、その本棚で偶然手にして、面白かったのが、司馬遼太郎、山田風太郎、柴田錬三郎。
ただ、どれもやっぱ暇つぶしとして面白いだけで、人生を左右したりするような本ではないから、今後手にすることは少ないだろう。
大御所では、村上春樹なんかどうだろう。
もう読むことないのかな?
あの自閉さが、世界に閉じこもってオッケーオッケー言ってるようなのが、最低な気分にさせられるんだよなあ。
あんなのは贅沢だから許されることなんだぜ、ってことは分かってはいるんだろうし、それを隠さないのも誠実なんだろうけれどね。
苛酷な外部が手前の自閉を可能にしているっていうのに、その外部への視線を感じさせないような作家は、もう要らない。
村上春樹は、そのギリギリの所にいるように感じる。