ROとの出会いまで

今からは想像もできないかもしれないが、むかし、洋楽と邦楽との差は歴然としてあった。
 
友達がやっていたBCLに興味をもって、5バンドぐらいの短波つきラジオを買ったのだが、やがてBCLには飽きて、FMなどを聴くようになっていた。
BCL用ラジオなのでスピーカーは一つだけ、つまりモノラルだった。モノラルでFMである。
そのころはTOKYO−FMはエフエム東京であって(別にFM東京でもいいのだがカタカナにしてみたくなった)、たしか放送授業みたいな事もやっていなかったか?
 
エフエム東京では土曜日の午後にベストテン番組をやっていて、コーセー化粧品が提供する「歌謡ベストテン」とダイヤトーン三菱電機のオーディオブランド)が提供する「ポップスベストテン」を1時間ずつ、計2時間やっていた。
土曜日は半日学校へ行っていたので、帰ってからそれを聴いていたのだが、最初は歌謡ベストテン目当てだったのだが、続けて放送されるポップスベストテンので流れる楽曲の方に、興味が移っていった。
 
AORが出始めのころ?で、ビリー・ジョエル、ボズ・スキャグスらの全盛期。
クリストファー・クロスが人気があったが、エア・サプライが好きだったなあ。
というのは嘘かもしれない。
今エアサプライの曲を思い出すと郷愁感にあふれてしまうのだが、それをもって好きだったと思ってるだけかもしれない。当時エアサプライをエアチェック(ややこしい言い方だ)なんかしていたのかどうか、記憶にないから。
ちなみにこういうのは良くあって、ビートルズなんかリアルタイムでは当時の若者のあいだでは否定派のほうが断然多かったらしい。まあ、否定派とまではいかなくとも、積極的に聴かないひとがほとんどだった。
それでもビートルズを今聴いて郷愁感を覚えたりすると「好きだった」と勘違いする。
(これを模造記憶というらしいです。たまたま昨日読んだhttp://blog.goo.ne.jp/maingmenのブログのなかの文章によれば。)
 

で、洋楽好きになったところまで書いたが、ここからロッキンオンへのつながりの記憶が漠としている。
なぜロッキンオンを選んだのか?ミュージックライフとかではなく、が分からない。
たしか最初はミュージックライフも買っていたのだ。
それに比べれば明らかにビンボーな感じの雑誌だったロッキンオンにいつのまに変わったのか?
 
目当てのミュージッシャンのインタヴューに惹かれたのか、最初から内容だったのか。
貧乏だったから値段の差も大きかったかもしれない。きっとそうだ!
ということは、渋谷さんの良心的な値段設定が私を(ある程度)作ってきたとも言える。
 
ともあれ、徐々にロッキンオンの存在はとても大きなものになっていき、たんなるミュージックガイドとしてではなく(そもそもロッキンオンで評判が良い=自分の好みでは無かったし、評判良いからといってホイっとレコードが買えるような身分でもなかった)、ひとつの読み物としてロッキンオンと付き合っていくことになったのだ。