宮本顕治氏逝く(日本共産党の元トップ)

なんと98歳。訃報を聞いて、生きていたことを思い出す、そんな死であった。
今では共産党というと一般的には、悪いイメージしかないのかもしれないが、1960頃までは輝いた存在だったはずだ。
文学者から宗教家まで、ほとんど全ての日本人が戦争に協力するなか、抵抗を貫いた言わばスターであった。なかなか想像しづらいけど。


先日亡くなった宮澤喜一氏がわが国の生活に及ぼした影響は絶大であったが、一方、この宮本氏はそういう影響はほぼ無かっただろう。ただ、文化的な影響力はそれなりにあったのではないか。これについても1960頃を境に、無くなるようだが。
しかし対照的な2人が相次いで亡くなったと思う。宮澤氏のような一見ハト派っぽい自由主義者の方が、共産党的なモノを嫌うんじゃないかな。中曽根みたいな人よりもね。(中曽根や三島などのいわゆる右翼は、無産・共産政党でも「天皇」「国家」を大事に思うのなら、っていうタイプだろう)


面白いのは、彼は戦後共産党が大きな内部対立をしたときに、「国際派」とされその中心メンバーでありながら、のちにはほとんどの国の共産党と対立し(朝鮮労働党中国共産党もふくむ)、唯我独尊になってしまったことだ。国際派でありながら、国際協調ができなかったという。
ちなみに誤解されてるけど、日本共産党朝鮮労働党北朝鮮)との仲は決してよくない。というか悪い。
北朝鮮にシンパシーを抱いていたのは、新左翼の一部や、社会党系の人たち。拉致問題でも、北朝鮮を主に弁護していたのは、社会党系の人たちではないか?
そしてもちろん、新左翼とか社会党と、日本共産党との仲も最悪。(社会党なんかは共産党と組むくらいなら自民党というマインドで、村山氏のときじっさいに実現してしまった。)
独裁者はいずれ対立しちゃうという事なのか。


また言えるのは、この頃の共産党はそのような内部対立が、外部に知れ渡る程度にはオープンな組織であったということ。
宮本氏がトップに立ってからは、現在に至るまでほぼ一枚岩であり、誰に聞いても同じ公式的な答えが期待できます。派閥政治が嫌いな人は共産党のシンパにでもなると気持ちよいと思う。
そういえば先日テレビで、そもそも政党政治というものは考えを同じくするものが云々言って、相変わらず派閥活動を非難する人がいたね。そんなもん自然発生的にできてしまうもの無理やり抑えることなんかできるわけないじゃないか。


いろいろ書いたが宮本氏の個人的な思い出などは実は殆ど無い。
宮本氏に関することでいちばん憶えているのは、浜田幸一とかいう人が衆議院予算委かなんかの議長だったとき、共産党の質問者が質問中に、強引にまったく関係のない宮本氏のリンチ事件の話を言い出した事件だ。
浜田幸一が興奮するあまり?宮本顕治を「ミヤザワケンジ」と間違えたのもあまりにも間抜けで印象深かったし、共産党の質問者の激昂ぶりも凄かった。そりゃ怒るわな。誰だって。
ちなみに浜田幸一のようなああいう事をするような人間が居た党には、いままで一切投票してこなかったし、今後も無いだろう。


ところで、今回宮本氏の訃報をきいて、あれこれネットで見ていたら、次のような興味深いことを知った。
・宮本氏の息子が日本共産党とは疎遠であること。(どちらかというと社民主義?)
・不破元委員長が、政治家引退後、あの新潮社から著作を出していること。(そもそも新潮社は文春ほど右翼ってわけじゃないか)
・宮本氏が実権を握ったときに分派した日本共産党行動派なる団体がまだ残っていること。